歴史・経緯

来年の大河ドラマは平清盛が主人公。この壇ノ浦も平家ゆかりの地である。私にとっての壇ノ浦は自宅から1200キロの通過地点ではあるが、ここが歴史の舞台であったことを考えると、今ここに立っていることの不思議さを感じるものである。

福島と聞いただけで農作物は嫌われてしまう。今回、食品に含まれる放射能の基準値が定められ一定の成果はあったが、人の感情は「あっ、そうですか」と手のひらを返したようには行かない。新潟県産コシヒカリはブランド米だが、会津産のコシヒカリだって堂々と胸を張ってよいものだ。これはベトナムの穀類店の光景だが、ベトナムではいろんな種類の米が販売されている。

今日は昨日に引き続き図面描きに没頭した。これまで21年間の長きにわたり熟成してきた技術を図面に集大成しているところである。振り返ってみるといろんなことがあったが、努力と汗は確かなものへと進化していたことを改めて実感した。

今日は仙台から気仙沼まで足を伸ばし飛び込み営業を展開した。驚いたことは、仙台市内の景観は3.11東日本大地震があったことを微塵も思わせないほど整然としていて綺麗だったこと。気仙沼でも港のある海岸には行かなかったので一概に論ずることはできないが、これといって全壊や半壊の家屋は見あたらずあまりにも綺麗だったことである。私は、夜10時過ぎに帰宅したら長男夫婦が起きていたのでそのことを話したら、宮城県知事が地震発生後直ちに阪神淡路大震災の経験者である兵庫県と中越地震の経験者である新潟県にどのように対処すればよいのか助言を求め、担当者を派遣してもらったとのこと。それだけに復興もスピード感をもって遂げているように窺えた。それに対して福島県特にいわき市は3.11よりも4.11並びに4.12地震で2メートル近い断層ができるほど地盤が破壊されたため、至る所で道路の隆起と陥没が発生し、とても国道などといえる状態ではなく、加えて昨日も自宅から直線距離で30キロ足らずの三和町を震源地とする直下型地震もあり、何時終わるとも知れない余震で復興の道筋は闇の中である。

この写真は、仕事帰りが夜になってしまったためホーチミンのホテル近くで撮影したものである。ベトナム人もイルミネーションは好きのようだが白色のライトだけというのは珍しい光景である。ホーチミン市には800万人もの人が暮らしていると聞いているが、夜になると田舎の町のようにきらびやかさは見られない。けばけばしさのない落ち着いた町なのである。