気学・易学

私は今回の東日本大震災は、因縁果報という観点から次のように整理している。すなわち大地震は「因」であり発生場所が海底であることも「因」の一つであり、これらはいずれも自然の営みであること。大地震の震源地が海底であったことにより大津波が発生したが、大津波が襲来到達する範囲に多くの人が住んでいたこと「縁」がおびただしい犠牲者「果」を出し、その「報」いとして大きな悲しみが生まれた、と。従って、このような惨事を何度も繰り返さないようにするには「因」あるいは「縁」を断ち切ることがもっとも肝要であるが、「因」である自然の営みは御しがたいので「縁」である人間が生活する場所を高所に移転するか、津波が襲来しても呑み込まれないように垂直移転するかいろいろな対策を講ずることが必要となる。この場合、「因」と「縁」とは逆にして考えても同じことである。今回のような大地震は平安時代にもあったとのこと、さらにチリ津波も経験しているので私たちは歴史に学ぶとともに政府も想定外などと片付けないで適切な防災対策を講じなければならない。今回、東海地震の発生確率が4年以内に70%という予測結果が発表されたので、私たちも日頃から防災訓練を徹底したり非常持ち出しや食料準備など臨戦体制確立が急がれる。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ではなく「備えあれば憂いなし」で行きたいものである。

 今朝テレビを見ていたら「脱ゆとり教育」ということで教育現場はおろか家庭までもその対応に追われていることを知った。その中でも社会科の授業で必要な地球儀がよく売れているというリポート。なんでも地球儀専門店というのがあって、地球儀も多種多様のものがあるようだ。特にユニークだったのは、地球儀に専用のペンを当てるとテレビに国名やさまざまや情報が表示されたり、クイズ形式で勉強できるようになっていたり、みんなアイデア商品ばかりである。以前私は地球儀をもっていたが、不注意で落としてしまい肝心の球が破損、やむなく廃棄した経験の持ち主。最近になってまた地球儀を買い求めた。
使用目的は海外出張時に目的地の正確な方位を求めて、到着時の日取りを決めるため。これまでは地球儀を平板に展開したような間延びした地図を頼りにしていたが、目的地の位置は分かるものの実感が湧かない。そこで、地球儀上で自分の住まいの位置と目的地との間に糸を張り、自分の住まいの経線に分度器を当て、目的地である場所が自分の住まいからどの方位にあるかを特定しようというものである。これまで教えてもらったところによると、例えば旅行の場合には日盤が吉方であれば60日間安全に旅ができるとか。転ばぬ先の杖、命の無駄遣いはしたくないので、できる限りこの法則を活用している次第である。

 仏教では「無知は罪である」と説いている。無知なるが故に知らず知らずにいろいろな無駄、ひいては命の無駄遣いにまで発展してしまうことは少なくない。その最たるものが方位である。今年(2月4日から翌年2月3日まで)は七赤金星が中宮に廻座しているため、五黄土星は東に位置する。従って、この方位を犯すと腹部に大病を発したりして健康を害し、人生の目的が破綻する恐れあり、くれぐれも注意願いたい。しかし、それにしても昔の人は目に見えない天地の運行まで、よくも見極めたものである。このようなものをよくも法則と観じたものである。この法則を信ずるか否かは個人の自由だが、信ずるか否かに拘わらずこの法則は万人に作用することを忘れてはならない。

 今年は改革と相続の年である。改革とはこれまでのものの見方、受け止め方、考え方、行動の仕方を根底から見直し、新たな出発を期すことである。また、相続とは読んで字の如く子々孫々に何事かを承継することである。
 先ず初めに改革のことであるが、これまでのものの見方、受け止め方、考え方、行動の仕方を根底から見直すことは実に難しい事業である。ものの見方と受け止め方というものはその人それぞれ独特のものがあり、ともすれば損得勘定という色眼鏡で物事を見がちのため全体像とか本質とかいうものを見落としがちなのである。法華三部経では、「或いは得、或いは失と不善の念を起こし無量億劫自ら出ずること能わず」とあるように、このような見方をしている限り「無量億劫」すなわち「気の遠くなるほど時間が経過しても」その蟻地獄から抜け出すことはできないと保証しているようなものである。
 次に考え方と行動の仕方であるが、行動はその人の価値観の表れであり、価値観はその人の考え方の表れであり、考え方とは根底に必ず思想や哲学が存在しているはずである。この根底にある思想や哲学が普遍性のあるものでなければ、その上に立つ考え方や行動はいかにも堅固のように見えても、それは一時的な虚像にしか過ぎず、何か些細なことで簡単に瓦解してしまう例は少なくない。
 従って、私たちの日常というものはつねにこれらの点について自らを吟味する必要があり、これを怠るといつの間にか大きく軌道を外れ抜き差しならない状態に陥り、ついには破綻という悲惨な結果に至るのである。
 ではどのようにすれば良いかが問題である。しかし、それは意外にも簡単な方法で解を得ることができるのである。解とは真実の前につねに謙虚であることである。つまり真実とは最高・最善であり本質・究極という規範や尺度である。この規範や尺度というスタンダードをつねに身につけ、比較参照しながら人生という航路を進めば大きな失敗が避けられるばかりか、ついには大成という本城(究極の境地)に至るはずである。
 易学では2月4日を一年の始まりとしているが、その意味においては未だ二ヶ月ちょっとしか経過しておらず、改革という難事業を達成するには時間がある。この改革という事業の結果がどのようなものであるか私には知るよしもないが、未知なるものに立ち向かっていかなければならないことだけは自覚している。
 また、この本質を掴んだときに承継という事業もその形を自ずから現われるものと思っている。

 昨日は現地時刻12時にマニラ空港に向かい、チェックインもきわめてスムーズに運び、予定通り14時45分に離陸することができた。成田空港にも予定時刻よりも早めに到着しバッゲージ運にも恵まれ、私は格安駐車場を9時に出発し熊本を目指すことができた。
 東関東自動車道、首都高速、東名自動車道もきわめて車の流れが良く、不思議と睡魔にもおそわれず伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、名神自動車道を経由し中国自動車道に入ったが、途中で事故渋滞はあったものの概ね快適なドライブとなった。私は明け方5時頃になって睡魔を催したが、目覚まし時計で睡眠時間を15分程度に設定し、寝ては起き、起きてはドライブするパターンを繰り返し、これまでにないほど短時間で目的地に到着することができた。
 現場での仕事もお客様のご協力をいただきスムーズに進捗、暦を調べたら明日はきわめて日取りが良いため電源投入すなわち火入れ式は明日挙行させていただくことになった。その後私は、電話でいつものホテルを予約しナビを頼りに向かったが、疲れていたせいか目的地の番号を間違えてしまい別なインターで下りてしまったが、あまり遠くはなかったので事なきを得た。 
 早速私はいつものように軽い夕食を済ませようとしたが、夕食の時間まで間があったので急いでシャワーを浴びて、着ているものすべてを洗濯機にかけ、それから夕食をいただいたが急激に睡魔を催したので洗濯しているのも忘れて寝てしまった。1時間半ほど寝たであろうか、私はたまたま目を覚まし何か忘れていることに気づき急いで洗濯機のところに行ってみたが、他の人には迷惑をかけていなかったようなので一安心、乾燥機にかけてほっとしているところである。
 私は九州自動車道に入り新緑あふれる景色を楽しみながらドライブしたが、未だいくつかの桜が花をつけており遅まきの花見を楽しむことができた。咲いている桜の花をまじまじと見てみると実にいろいろな種類があり、花の咲き方もまた可憐であった。中にはかなり濃いピンクの桜もあったが咲いている木の位置から、とても人間が植えたものとは思えないにもかかわらず見事なピンク色をしていたし、何れも泡のようであり透き通るような透明感を感じさせてくれた。
 自然とは不思議なもので様々な条件が重なると、日常あり得ないような現象が起こっているのである。これらのすべてを科学的に説明できるかどうか分からないが、私の目の前の現実を見るとそれらはすべて事実であり、自然は驚くほどの多様性を私に見せてくれている。