環境・リサイクル

「人生とは、生きることそのもの」と聞いたような聞かなかったような。その出典はともかくとして、生きるということは実に容易ならざるものがある。東日本大震災の仮設住宅で暮らす人々はとりあえず衣食住は確保できたものの生活の糧を得るための労働の場が奪われ、コミュニティが奪われ、警戒区域並びに計画的避難区域で生活していた人々は大切な土地や家財や家畜を捨てて生活しなければならないというもっとも過酷な生活条件を強いられている。彼らにとって放射能所線は当然のことであり、元の生活を完全復元すること以外に納得が得られるものではない。遅々として進まない放射能除染作業は県民の目から見れば単なるパフォーマンスに過ぎない。これだけ優秀な国民なのだから、国は放射能除染でもその真価を発揮し速やかに問題解決することを県民に明示すべきである。

いま緊急脱出訓練の結果、高度3500メートルからの脱出所要時間は10分程度であることが分かった。もう少し短縮できないか検討が必要である。具体的には、低圧室本体に大口径非常弁を追加することである。今の訓練でインストラクターもことの重大さを認識してくれ、震災が人災であることも理解してくれた。今すぐに人災を皆無にすることは困難であるが大難を小難に、小難を無難にする努力は誰にでもできることなのだ。野球に例えれば三振振り逃げでも、エラーでも、四球でも出塁は出塁。震災の場合にはどんな方法でも良いから先ず生き延びることである。

今日のクローズアップ現代では釜石第一小学校184名の生徒全員が、自分の命を守るばかりか、家族や弱者をも誘導しながら15メートルを超える津波から逃れることができた様子を詳しく伝えていた。3.11当日私はベトナム国ホーチミンに滞在していたし、それにも匹敵するような4.11直下型大地震では山陰は鳥取市に滞在していたが、私は家族のことは微塵も気にならなかった。何故なら、これが常在戦場の世の中、何も人的な危害だけが危険ではなくむしろ自然災害こそ常在戦場たる所以だからである。私は家内に、「今のテレビを見ていたか」と聞いたが家内は見ていなかったものの、既に釜石第一小学校の事例は聞いていたので、改めて私の考え方を伝え確認した次第である。私は出張が多いので出張中に東海・東南海・南海地震に遭遇する可能性があるし、私の不在中にマグニチュード8クラスのアウターライズ地震で10メートル超の大津波が再来するかも知れない。誰が何処でどのような災害に遭遇するかは全く予測がつかないので、「本人の持っている生命力で生き延びてくれ」というのが私の基本的考え方である。

今朝、私の仕事場に来てみるといつものように気温は4℃。高級ブランドと同じである。早速エアコンとファンヒーターを点け仕事開始したが、いくらも時間が経たないうちに私の足下は温かくなってくれる。そのわけは、狭いスペースに6人掛けの食卓がおいてあり、ファンヒーターの温風が食卓の下にこもってくれるため短時間で温かくなってしまうのである。因みにファンヒーターの設定温度は15℃、現在の室温表示は8℃。こんなに低かったらさぞかし寒そうだが、実際にはこれで十分なのである。狭い部屋は集中するにはもってこいの環境。塵も積もれば山となる。歩みの遅い亀さんだって、歩き続ければ千里の道も走破できる。今日も仕事を楽しもう。

私は帰り道、また津波は来ないかとおそるおそる国道6号線を南下したが、広野周辺では人影をほとんど見ることが出来なかった。人が住んでいるのかいないのかさっぱり分からない状態。しばらく車を走らせ久ノ浜付近になって車の往来と人影を確認。海岸に近いところは津波で家が押し流され、がれき処理が終わったところであった。そこには人々の生活の記憶を物語る家の基礎だけが残されていた。