お経は科学

 私が毎日上げているお経は法華三部経といって無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経で構成されている。そのボリュームは頁数で425頁、1頁1分で上げると約7時間の旅路ということになる。
 その中で妙法蓮華経の三番目は言葉がとても難しく、体調が悪いと呂律が思うように回らないため若い頃はとてもハードルが高かった。しかし、この経文をよくよく眺めてみると言葉の難しい部分はほんの数頁なのであるが、先入観でいかにも上げにくいお経と思っていたのであった。
 今年の寒修行では、私に思いもかけず導師の御役が回ってきた。私は出番になって一生懸命お経の文字を追いかけたが、どうしてこんなに呂律が回らないのだろうと思うほど惨憺たる状態だった。その原因は、昔はすいすいと上げられたのに、近頃はすっかりさぼっていたからである。
 そこで私はそのことを深く反省し、練習のつもりでお経を上げ始めたのはつい最近のことであった。当然のこととして三部経一巻を上げ終えると、またまた先ほどの妙法蓮華経の三番が巡ってくるのであるが、最近はすいすい上げるよりも一言一句を味わいながら上げるように心がけたところ、それほど苦ではなくなったから不思議である。
 日常ほとんど使わない言葉の連続なのだから、お経を上げにくいのは当たり前のことだ。お経の上げ方の基本は「身体に染み込ませるように上げる」ことなので、できる限り一つ一つの言葉を正確に読めるように心がけている次第である。
 このお経の面白いところは、人生の経験を積み重ねる度に味わいが異なるところにある。昨日読んだお経と、今日読んだお経とは同じ文章なのに味わいが違うのである。無限の味わい方があるに違いないのである。何故そんなに面白いのだろうか、それは「お経は、科学」なのだ。

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