今年は改革と相続の年

 今年は改革と相続の年である。改革とはこれまでのものの見方、受け止め方、考え方、行動の仕方を根底から見直し、新たな出発を期すことである。また、相続とは読んで字の如く子々孫々に何事かを承継することである。
 先ず初めに改革のことであるが、これまでのものの見方、受け止め方、考え方、行動の仕方を根底から見直すことは実に難しい事業である。ものの見方と受け止め方というものはその人それぞれ独特のものがあり、ともすれば損得勘定という色眼鏡で物事を見がちのため全体像とか本質とかいうものを見落としがちなのである。法華三部経では、「或いは得、或いは失と不善の念を起こし無量億劫自ら出ずること能わず」とあるように、このような見方をしている限り「無量億劫」すなわち「気の遠くなるほど時間が経過しても」その蟻地獄から抜け出すことはできないと保証しているようなものである。
 次に考え方と行動の仕方であるが、行動はその人の価値観の表れであり、価値観はその人の考え方の表れであり、考え方とは根底に必ず思想や哲学が存在しているはずである。この根底にある思想や哲学が普遍性のあるものでなければ、その上に立つ考え方や行動はいかにも堅固のように見えても、それは一時的な虚像にしか過ぎず、何か些細なことで簡単に瓦解してしまう例は少なくない。
 従って、私たちの日常というものはつねにこれらの点について自らを吟味する必要があり、これを怠るといつの間にか大きく軌道を外れ抜き差しならない状態に陥り、ついには破綻という悲惨な結果に至るのである。
 ではどのようにすれば良いかが問題である。しかし、それは意外にも簡単な方法で解を得ることができるのである。解とは真実の前につねに謙虚であることである。つまり真実とは最高・最善であり本質・究極という規範や尺度である。この規範や尺度というスタンダードをつねに身につけ、比較参照しながら人生という航路を進めば大きな失敗が避けられるばかりか、ついには大成という本城(究極の境地)に至るはずである。
 易学では2月4日を一年の始まりとしているが、その意味においては未だ二ヶ月ちょっとしか経過しておらず、改革という難事業を達成するには時間がある。この改革という事業の結果がどのようなものであるか私には知るよしもないが、未知なるものに立ち向かっていかなければならないことだけは自覚している。
 また、この本質を掴んだときに承継という事業もその形を自ずから現われるものと思っている。

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