人生では素晴らしいことが起こる

 私は日常朝だけお経を上げているが、愛車で出張の時には暗記しているお経を何度も上げている。そのせいか知らないがとにかく事故にも遭わずここまで来られた。とても有り難いことである。そもそもお経は両親が朝晩上げていたのを、その後ろに妹と一緒に座って冷やかし半分にあげていたら覚えてしまったもので、以来55年間あげている。
 通常は法華三部経のダイジェスト版を上げるが、法華三部経はこのダイジェスト版よりも遙かに面白い。私は社員が三部経を上げたいというのとフィリピン人の祈りの深さに刺激され、私も三部経を重点的に上げることにした。この三部経を上げるという行為は、特に何かを願っているわけではない。お経を上げられることそのものが素晴らしいのである。なぜ素晴らしいかというと、お経を上げるという行為は、お経を上げる時間が取れることを意味し、お経を上げる時間が取れるということは家庭や仕事に問題がないからお経を上げられるのであり、それらのことを考えてみるとお経の内容の素晴らしさとともに私が置かれている環境も実に素晴らしいことを意味し、お経を上げるという行為を通して感謝せずにはいられないからである。
 人生にはいろいろな価値観が存在し一つに集約することはできないが、私はいろいろな価値観を経験してきた結果、単純なようだがこの結論に到達したのである。現在私は五つの会社に所属しており、そのうちの三つの会社は私が最高責任者の任にあり日々の業務は容易ならざるものがあるが、私のできることは実に限られておりみんなの助けなしには到底為し得ない。
 そんな時、最も重要なことは私を助けてくれる彼らにとって私はどのような存在であればよいかということである。例えばフィリピンの場合には、この地におけるビジネス習慣は何も知らないので彼らに助けてもらう以外に方策はないので、できる限り任せることにしている。また、このように海外出張していると国内の業務についても何もできないので、これも彼らに任せるしか方策はない。
 今年は八白土星が中宮にあり改革の年とか相続の年とかいわれている。改革については現在一生懸命に模索しているが、相続という観点では、海外出張で思うように行かない国内業務を社員に委ねる以外に方策がないので、意外とこれが人材育成の機会となり彼らの成長を促している面があり実に有り難い。
 だから私は、何でもできることには拘っていない。何にもできないから人が助けてくれるし自分も謙虚になれる。「人生では、そんなに悪いことは起きない」といわれているが、むしろ「人生では素晴らしいことが起きるだろう」と確信している。

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信一 :

もしこの世が神(仏)によって創造されたのなら、人は神を信じることで救われるのでしょうか?

信じることで救われるのなら、信じられない、感じることができない人は救われないのでしょうか?

人は自分の子供に夢や愛や他人との関わり方を教えます、そしてその子供は同じように自分の子供に教えることが人間の生き方なのでしょうか?

今のわたしにはよくわかりませんが、一つ言えることがあるとするなら、今、日本は、他の国々に助けられながら、逆に与えながらも、ヨーロッパ諸国のスローライフや米国の変化、中国、東南アジア諸国の経済成長とは違う、また新たな変化の兆しを迎えている気がしています。

yamanobe :

感じるから救われ、感じないものは救われないというものではないと思っております。
人との関わり方について子供に教えられる人は幸いです。それを継承していくこと、それは素晴らしい伝統となるでしょう。
世界はつねに変化し流動的であり、これが真理です。一瞬たりとも止まることのないこの世をどのように生き抜くかは、みんなの課題であり、互いに共有し、互いに助け合って、生きたいものです。
投稿に気づくのがたいへん遅れ、心からお詫び申し上げます。
これに懲りずに、これからもいろいろ教えていただければ嬉しい限りです。

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