マニラに行く前、スタッフに航空機の往復日程を連絡しておいたところ、気を利かせてくれていろいろプランを準備してくれた。今日は午前中にスタッフとのミーティングを持った後、機械装置の設置場所を見聞することになっている。従って、機械輸出許可申請書への記載事項は明確になるはずである。午後からは、低圧室の引き合いがありお客様とお会いすることになっている。このお客様は、先日お会いした芸能界のプロモーターで6人の子持ち、日本語が堪能でコミュニケーションの心配はないだろう。
明日は、ブラファンの農場を訪問することになっているし、明後日も予定を入れてくれている。私はこの優秀かつ親切心に富み敬虔なクリスチャンのスタッフに囲まれて、何不自由なく仕事を遂行できることは無上の歓びである。
この宗教心或いは信仰心について考えてみると、彼らは神に対してきわめて従順であり信仰心も厚い。私は先日、「恥ずかしい」という言葉を聞いたが、彼らの「恥ずかしい」という言葉には本当の恥ずかしさがにじみ出ている。その場限りの単なる社交辞令ではなく、人間としてのあるべき姿に対して恥じているのである。だから言葉がストレートに伝わってくるのである。言葉の響きそのものが私にそう感じさせてくれる。
2010年 3月 19日
二日ほどブログを休んでしまった。一昨日は出張準備に時間を費やし昨日はマニラのホテルに到着するなり爆睡してしまったためである。今回の飛行機は私のもっとも好きなボーイング777型機、何よりも速いのが魅力的である。隣の席にフィリピン女性が座ったのでいろいろな話を聞くことができた。先ず日本人の家庭観について尋ねたところ、結婚前とは打って変わって仕事を理由に家庭がおろそかになるという。従って、結婚前はsweetheartだった甘美な関係から 単なるhouse mate或いは room mateすなわち「同居人」になってしまうというのである。この男女関係はboy friendと lover、 sweetheart及び fiancéはほぼ同列に解釈しているらしく日本流にいえば「愛人」と訳すことができるが、日本における愛人はちょっとニュアンスが異なってしまう。彼女はこの家庭観の違いから結婚生活にピリオドを打ったらしいが、日本での生活があまりにもストレスに満ちているため体調を崩しフィリピンでリセットすることにしたとのことである。
次に、日本人の趣味については、だいたいの人が酒、たばこ、パチンコ、麻雀、カラオケ、ゴルフなのでまったく魅力を感じないとのことである。特にカラオケなどに至っては酒と涙と別れの歌詞が多く、それでなくてもストレス社会なのにさらにむち打つように悪い言葉で脳を洗脳することは最悪の事態といえそうである。
さらに、フィリピン人の言葉に対する観念について尋ねたところ、light は単なる光ではなく聖母マリアやイエス・キリストに繋がる精神的な光であり、またinspirationも日本語訳の「ひらめき」とは違ったキリスト教世界のある種の宇宙が感じられる。
彼らの生活には、すべからく神が存在し、自分の行動の中にも神の意志が存在しているように見える。従って、単なる自分の思いに囚われないので、会話がどろどろしたりすることはない。何か大いなるもの(something great)に抱かれているという安堵感のようなものさえ感じてしまうのは私だけだろうか。