2010年 3月 1日

 私は1月にフィリピンで新会社を立ち上げた関係上、フィリピン人の人生観についても気になった。先ず定年は何歳か、年金はいくらあるのか、貯金はしているのか等々である。
 友人といろいろ話し合ったが結論が出ないので、現地のスタッフに電話をかけて聞いてみたところ、定年は60歳~65歳くらいで、年金は政府が支給する場合に70%程度、貯金については本人が笑いながら「やっていない」と答えており、また大体の人は貯金などしていないらしい。私の数値は正確ではないが、銀行に勤務している一般サラリーマンで給与が15,000ペソ(日本円で3万円程度)らしいが、年金額は4,000~5,000ペソというので平均的な所得は銀行員よりも低そうである。
 これに対して日本人は、老後の生活不安を無くするため貯蓄には神経を遣っている人が少なくないと思う。このような経済情勢になると財布の紐はますますきつくなり、消費が一段と落ち込みデフレスパイラルは加速するばかり。
 こうしてみるとフィリピン人のように貯金など気にしない生活にも問題あるが、先行きのことばかり気にするあまり「現時点での人生の質まで落としていないか」気になるところである。中庸というのは言うは易く行うは難し、人生観がそのまま浮き彫りになってい気がしてならない。

 今日は、先日答えが出なかったマネジメント研修会の在り方について再度ディスカッションした。これまでマネジメント研修会は主に集合型研修会を開催してきたが、参加者が個々に抱える問題点について明快な提案ができたかどうかについては甚だ疑問が残った。
 そこで、今回は40歳代の世代が抱える問題点を抽出し、集合型研修によらず個人研修にカスタマイズしてきめ細かに展開できないかという案が浮上してきた。私はこの案に大賛成である。何故なら、問題解決意識の高い個人を見つけ出し、オンリーワンな処方箋を見つけ出し提案した方が、従来の集合型研修よりも研修の実が上がり、かつ、主催者側も参加者の人数に囚われる必要が無くなるからである。
 また、今日は布教についてもディスカッションする機会があった。ここでの話題は「どのようにしたら実践してもらえるか」であったが、どんなに良い話でも毎日毎日聞いているとマンネリ化し感動がなくなり、ついには無関心に陥ることさえもある。
 このような状態に陥った人は実践のための気力が低下しているため、いろいろ提案しても実践に結びつかないため結局のところ問題が解決されないまま悪戯に時間が過ぎてしまうことも少なくない。従って、本人にやる気が起きない限り問題は解決できないのである。このような場合、本人にやる気が起こるまで根気強く取り組む方法と、ちょっと冷たいようだが落ちるところまで落ちてから、問題解決の意識が痛切に高まったところで処方箋を提案するというやり方がある。
 前者の場合には手間暇がかかり効果が出にくいのに対して、後者の場合にはいざというときの実戦力に繋がる一方、途中で脱落していく危険性もはらんでいる。一般に前者を「慈悲の無慈悲」といい、後者を「無慈悲の慈悲」というが、この使い分けは実に難しいものがある。聞くところによると「両者を絶妙に使い分けできるのは仏さまだ」というが、私はお目にかかったことがない。私にできるのは、せいぜい念ずることぐらい。
 問題解決で何よりも大切なことは、「当事者が、問題を問題と認識しているか」にかかっている。これがあれば問題の大半は解決できたも同然なのだが・・・・・。