表現方法とニュアンスと

二日ほどブログを休んでしまった。一昨日は出張準備に時間を費やし昨日はマニラのホテルに到着するなり爆睡してしまったためである。今回の飛行機は私のもっとも好きなボーイング777型機、何よりも速いのが魅力的である。隣の席にフィリピン女性が座ったのでいろいろな話を聞くことができた。先ず日本人の家庭観について尋ねたところ、結婚前とは打って変わって仕事を理由に家庭がおろそかになるという。従って、結婚前はsweetheartだった甘美な関係から 単なるhouse mate或いは room mateすなわち「同居人」になってしまうというのである。この男女関係はboy friendと lover、 sweetheart及び fiancéはほぼ同列に解釈しているらしく日本流にいえば「愛人」と訳すことができるが、日本における愛人はちょっとニュアンスが異なってしまう。彼女はこの家庭観の違いから結婚生活にピリオドを打ったらしいが、日本での生活があまりにもストレスに満ちているため体調を崩しフィリピンでリセットすることにしたとのことである。
次に、日本人の趣味については、だいたいの人が酒、たばこ、パチンコ、麻雀、カラオケ、ゴルフなのでまったく魅力を感じないとのことである。特にカラオケなどに至っては酒と涙と別れの歌詞が多く、それでなくてもストレス社会なのにさらにむち打つように悪い言葉で脳を洗脳することは最悪の事態といえそうである。
さらに、フィリピン人の言葉に対する観念について尋ねたところ、light は単なる光ではなく聖母マリアやイエス・キリストに繋がる精神的な光であり、またinspirationも日本語訳の「ひらめき」とは違ったキリスト教世界のある種の宇宙が感じられる。
彼らの生活には、すべからく神が存在し、自分の行動の中にも神の意志が存在しているように見える。従って、単なる自分の思いに囚われないので、会話がどろどろしたりすることはない。何か大いなるもの(something great)に抱かれているという安堵感のようなものさえ感じてしまうのは私だけだろうか。

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